中2の国語の教科書にも出てくる、鎌倉時代に吉田兼好が書いたという『徒然草』のまねごとで、つれづれなるままに毎日ブログを書いてきましたが・・・
次のブログ担当の先生もいるので、私の2019夏の短期集中ブログはこれで最後にします。
ちなみに、徒然草の最後の243段では吉田兼好がわずか8歳の頃に父親に向かって「仏様はどうして仏様になったの?」「人間だった仏様を導いた仏様は誰に導かれて仏様になったの?」と、幼い好奇心と疑問を素直にぶつけ、父親は返答に窮してしまったというエピソードを紹介しています。
「吉田兼好」は大変聡明な子どもだったそうです。
今も昔も変わらないと思いますが、子どもの時期の過ごし方って本当に大事ですよね!!!
そして、子どもたちは、自分の人生の重要な局面に、 対峙 せねばならないことがあります。
「対峙」は、「じっと動かずに相手になる」ことから、「にらみ合ったまま動かない=真剣に向き合う」という意味を表します。
そのひとつが「受験」ですが、それはほんの一例に過ぎません。
本当なら避けて通りたい、目をふさいでいたい、いっそ逃げ出したい・・・
そんな壁や難所、苦痛が立ち現われてきたとき、力をふりしぼって 対峙 するのか、あるいは怖じ気づいた心のまま、逃亡するのか。
両者を分けるのは、決して「その場で発揮される勇気」ではないと私は考えています。
勇気なんて、とうとつに降ってわくものではないからです。
時間をかけて、自らの内に育てるものだからです。
「そこにいたるまでに何を考え実行してきたか」、それこそが土壇場の決断を生み出すもととなるんです。
私の経験談からではありますが、「どのように生きてきたか」が結局すべてであり、「積み重ね」とは何て大切なんだろうと、今まで何度も思い知らされてきました。
そういったことから、子どもたちには、受験生だとかそうじゃないとか、小学生だとか中学生だとか高校生だとか、そんなことは関係なしに、立ちはだかる壁に対して全力で挑むことを望みます。
「今」の積み重ねは、己の血となり肉となり、いつか訪れる人生の岐路に毅然と 対峙 するための 礎 になります。
今を生きるということは、自分の未来を創ることに他ならないのだと、子どもたちに伝えるだけでなく、私自身も胸に刻みながら、共に歩み、成長してゆきたいと思います。
六合校の小中学生 算・数・国担当:松本
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